前を見て進むのは人生だけにしろ

 

こんにちは。知ってる人も知らない人もいると思うけど、私は昨年末に事故に遭い、年越しを病院で迎え、退院しましたが今も通院中です。

日常生活が難なく送れるようになった今、あの時の気持ちや後悔を忘れないように、また、これを読んで1人でも多くの人が交通事故に対する意識を高めてもらえたらと思って書くことにしました。

労いの言葉などはもう十分いただきましたので、みなさまがこのブログを読んで「私も気をつけよう」と思ってくだされば私はそれが一番嬉しいです。

 

さて、すっかり日が落ちて暗くなった12月29日の18時頃、ネイルサロン帰りに母親からうどんを買ってきてと言われ自転車のカゴに冷凍うどんだけ入れて自転車をギコギコ漕いでいました。途中から小雨が降り出してきて、傘を持っていなかった私は着ていた黒のモッズコートを首元まで閉めてこれで完璧だぜ⭐️と思い、また自転車を漕ぎ出しました。

そして、自宅の近くの信号のない横断歩道を渡ったとき、左から白い光と自分より遥かにデカくて速い何かが見えてその瞬間「あっ、やばいかも」と思いました。

その次に見た光景は、沢山の人だかり、混雑している道路、叫ぶ人、私を叩いて目を覚まさせようとする人たちの姿でした。まあ私はそのとき意識もクソもなくてこれは夢だっけ…としか思えませんでした。

でも、その後に来た救急車のストレッチャーに乗せられ、救急車の中に入れられているときには「ああ私またなんかやらかしたのか」という思いでした。やらかしてるよ。

救命救急士の方に「事故のこと覚えてる?」と聞かれて首を横に振ったら「健忘だね…」と言われて今までネタで健忘症と言ってきたけどついに本物の健忘に…!?と少し感動してしまいました。

そして、送られた病院先で頭を包帯でぐるぐる巻きにされ、ここでは治療できねー!と言われまた救急車に乗せられてでっかい病院に運ばれました。この時には自分の失態や家族へ迷惑をかけてしまったことに気づいてワンダー君は太陽を観たときよりも号泣していました。包帯ぐるぐる巻きのパイナップルみたいな頭で。

着いた途端、パーテーションで周りを仕切られ、「包帯巻きすぎなんだけど…」とブツブツ言われながら包帯を外してホチキスのようなもので頭を7針ほど縫われ、「おしっこの管通すね〜」といわれ何かを入れられました。そしてオムツデビュー。正常な意識だったらなにこれ!?ヤダ!ってなると思うんだけど、その時の私は「ああ…はあ…そうですか」でした。頭打ってるからいつもよりボーッとしてるんですね。

CTと言われるものに通され、通されたかと思えば「ピアスしてる!?」と看護師さん2人にダッシュで駆け寄られて両耳のピアスを外す手間をかけさせてしまい「(ピアスをつけていて)すみませんでした…」と謝っていました。

そしてあっという間に病室に送られ、約2週間のドギマギ♡入院生活が始まります。マジでここからがしんどかった。

怪我の内容としては、左鎖骨の骨折、左肋骨を5本骨折、衝撃で肺が破れ、血や体液が肺の中に入ってしまい気胸、頭の出血だそうです。

この3番目の「気胸」を治すための治療がすごく辛くて、鎖骨が折れてることなんか気にもなりませんでした。

左の脇の下あたりからチューブを挿入し、肺の中に入った血などを抜いて肺のポンプ機能を正常にするみたいなんですけど、チューブを入れるためにした麻酔があまり効かなかったのか、切られたときにものごっつ痛くて握ってくれていた看護師さんの手を握りつぶしてしまいました。すみません。

そのチューブが入ってからは、寝返りも打てないし立てないし痛み止めは効かないしで散々でした。散々だぜ…と思った次の日(12月31日)には鎖骨の手術をするね😆と言われ、はあそうですか好きにしてください…となりました。

鎖骨の手術では高校の古典の先生みたいな麻酔科の先生が上手かったのか、痛みなくすやすやと眠れて快適に終えられました。4時間ほどかかったみたいですが…

そしてしばらく肺にチューブ、尿管にチューブ、腕に点滴のザ・入院患者ルックで過ごすことになりました。前述したように、痛み止めが効かないので夜は眠れないしご飯は食べられないし動けないのでずっと病院でボーっとして寝てんのか起きてんのか…みたいな過ごし方をしていました。いつも痛み止めが切れる深夜2時頃に目が覚めて、悪い時には起床時間の6時まで眠れなかったときもあります。痛み止めがこれ以上服用できないからと言われてナースコールを押すか押さないかで暗闇の中何十分も痛みに耐えながら悩んだこともあります。それに比べたらオムツしてようがお風呂に入れなかろうが臭かろうがどうだって良かった。

年越しした感覚なんて全くないし、自分だけ2021年に置いてけぼりにされた気分でした。病院のおせちも母親に作ってもらったおせちも全く手をつけられず、箱根駅伝も見ることができずです。もしかして、私だけ13月に…?

1月1日からは、コロナ禍で面会ができない両親から届けてもらったフルーツとゼリーに助けられ、看護師さんの献身的な看護に支えられ、なんとなく生きていました。もちろんお風呂は入れないし、トイレも行けないから全部看護師さんに任せっきりです。でもそれが辛いとは思いませんでした。正直、チューブが刺さっているところが痛すぎて、痛くない時間が長ければもうそれだけで十分でした。

3日には、病室まで来て撮ってもらっていたレントゲンをレントゲン室まで行って撮りにいくことになりました。めちゃくちゃ怖かったけど、看護師さんに支えてもらって車椅子に乗り、「初車椅子です〜♪」とか言いながら割とすんなり運んでもらえました。

しかし、順番を待っている時にだんだん座っているのが辛くなってきました。背もたれにもたれたらチューブが当たって痛くなるしあとちょっとだ…とゼェハァしながら耐えていました。そして、部屋に呼ばれて車椅子から立とうとした瞬間、冷や汗と過呼吸が止まらなくなって立ちすくんでしまい、最終的にストレッチャーに再び乗せられ病室まで戻る始末でした。迷走神経反射というものらしく、病室に戻ってからもしばらく痛みが続いてもうヤダ〜っっ!!!!って叫びたい気分でした。叫べたら。

そうやって痛がっているうちに肺が正常に戻ってきたので1月5日にチューブを抜こうと言われました。挿したときの痛みが尋常じゃなかったので心配になった私は、抜くときも痛いですか…と恐る恐る尋ねると「麻酔するからその時の針の痛みだけだよ〜☺️」と言われてなーんだ!よかった〜と安心してしまいました。これがダメだった。

来たる1月5日、午前中にまたレントゲン室まで移動し、今度は何とかやり遂げたぜ…と思って病室に向かったらやっぱりチューブのところが痛んできて、そうやって痛みに悶えていると看護師さんがやってきました。「今からチューブ抜きに先生来るからね〜」と言われて安心したのも束の間、やってきた先生は麻酔する仕草も見せず「じゃあ息吸って吐いて、何回かして吐いた時に抜くからね」と伝えられました。え…麻酔は…と言う気力もなく、先生の言われるがままに息を吸って吐いてを繰り返し、3回目で「ズボッ」とチューブを抜かれました。感情が表に出にくい私でも、このときは痛すぎて「イダイッ!!!」と叫んでベッドの上で地団駄踏んで泣きました。麻酔するって言ったのに…の裏切られた気持ち、痛すぎる、やっと解放された…などの感情でぐちゃぐちゃになってそれからしばらく涙が止まりませんでした。病室のおばちゃん達に気使わせただろうな。

チューブが抜けてからはあの悪夢は何だったんだ?と言うくらいに痛みから解放され、その後おしっこのチューブも抜いてもらい、あとは点滴だけという状態になり元の自分にかなり近づきました。その日からシャワーにもトイレにも行けて、自分でこうやって動けることってこんなに幸せなんだってシャワーを浴びながら泣きました。

1月6日からは、リハビリが続きました。しばらく歩いていなかったので歩く練習と、左腕を上げる練習、そして頭の怪我のせいで外傷性くも膜下出血になり、注意障害や記憶障害の心配があるため作業療法士さんにお世話になりました。元からボーッとしているので検査しなくてもいいよ…と思いましたが、幸い、脳の方は無事でした。

リハビリで動くと食事もできるようになって、便も出るようになって、本当に嬉しかったです。よくお世話してくださった看護師さんや看護助手さん、先生から「笑顔が見れるようになってよかった」と声をかけていただき、そういえば私ずっと笑えてなかったなってその時気づきました。

 

1月11日に無事退院して、そこから今もリハビリに通いつつ、少しずつ元の身体に戻していっています。今年の年末頃に、鎖骨に入っているプレートを抜くことができれば完治になると思います。

 

この事故を経験して、私が思ったことは「自分の身を守れるのは自分だけ」ということです。歩行者、自転車対車だったら車の方が悪いからいいじゃんとか、イヤホンして歩いてても見えてるからいいじゃんとか、そういうのは事故を経験してないから言える。「自分が事故に遭うはずがない」という思い込みがあるから言える。私もそうだった。今は、実際事故に遭った身として、自分ができる対策は一つでも多くしていた方が絶対にいい。そうすることで防げる事故はいくらでもあるはず。

ただ横断歩道を渡る前にしっかりと右を見て左を見ていなかっただけで、2週間も辛い思いをして、何ヶ月もリハビリに通うことになりかねないんです。自分でトイレに行けること、ご飯を美味しく食べられること、お風呂に入れること、人と楽しくおしゃべりをすること、全部当たり前のことじゃありません。

ここまで読んでくださった方には、是非今日からでも自分にできる事故対策をしてほしいです。交通量の多い道ではイヤホンを着けない、傘差し運転をしない、横断歩道では左右をしっかり見る、そういった小さな行動があなたの安全を守ることにつながります。どうか、私のようなクソ不幸がみなさまに訪れないよう、お願いします。

 

余談〜ジャニーズって最高!〜

私はこの入院期間で何回も松倉くんに救われました。インスタライブでも、+81でも、松倉くんの笑顔を見て「私も頑張ろう」って何回も思えました。コロナ禍でお見舞いもできず家族に会えない中で、沢山松倉くんに支えられました。松倉くんのことを好きでいて本当に良かった。見てるわけないけど、ありがとうって伝えたいです。

あと、事故に遭った日に私の頭を綺麗なハンカチで抑えてくれた女性、話しかけて意識を保ってくれた消防士さん、救急車を呼んでくれた方、大勢の通りがかりに助けてくださった皆様に何とお礼をしたらいいのか…とずっと悩んでいました。

でも、ある日ツイッターでこの画像を見たときにハッとしました。

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そうか、私が貰った恩は返すものでもなく、ため込むものでもなく、人に繋げていくものなんだ。私が次に恩を繋げる役になるんだ。そう思いました。困っている人、助けを求めている人がいたら、私が手を差し伸べるんだ。

いつも大切なことはジャニーズが教えてくれる。ジャニーズが心を支えてくれる。ありがとう、ジャニーズ。愛してるよ、ジャニーズ。

 

余談の余談〜うどん、どうなったの?〜

自転車のカゴに乗っていたうどんが気になって仕方ない人、いると思います。あのうどんも私と一緒に吹っ飛んで、袋から飛び出し道路にぶっ飛び、終いには近くの田んぼにまで転がり落ちたそうで、母親が現場に駆けつけたときには冷凍うどんがそこかしこに散らばっており、警察官に「うどん拾っていってください」と言われたそうです。うどんごめんね。